「袴着(はかまぎ)の儀」と言われる、5歳のお祝い。
古くは「着袴(ちゃっこ)」とも言われ、男女の区別なく行われていました。
昔々は、女の子も袴を着ていたようで、着袴の儀式が行われていた様子が『栄花物語』から読み取れます。
今年は姫君の御年三つにならせ給えば、四月におはかまの事あるべし
栄花物語より
五歳の「袴着の儀」、いつから始まった?
五歳のお祝いが男の子が主流となったのは、どうやら鎌倉時代からのようです。
平安時代は皇室、公家の行事でした。室町時代になると武家でも行われ、江戸時代になると資産家の町人たちもこれにならい、とくに江戸では子供の通過儀礼を含めた七五三の行事が一般化してきました。
この頃に、各家庭で吉日に行っていた七五三が、11月15日に行われるようになったと言われています。
幼児から少年への節目、初めて「袴」を身につける「袴着の儀」。平安時代の宮廷貴族で行われていた儀式です。
これは、文字通り、男の子が正装である「袴」を着る事で、基は袴、扇子を広盆に載せて差し出し、子供は碁盤の上で吉方を向いて立たせて、袴を着る儀式です。
名古屋ではあまり見かけませんが、東京や九州などでは神社などに碁盤が置いてあるところもありますね。
碁盤を使うのは、なぜ?
皇室では「深曾木の儀」というのが行われます。悠仁様が行われたのがこちらですね。
「深曾木の儀」は、まず右手に扇、左手には小松と山橘を持ち立ちます。
その後、碁盤の上に立って、髪に櫛を通した後、はさみで毛先を切り、
その後、両足でそれぞれ足元の石を踏み、吉方位に向かって碁盤を飛び降りるというものです。
石を踏むのは禊、飛び降りるのは大地に足をしっかりつける意味があり、天下を取るという願いが込められた儀式です。
碁盤は、昔、公家社会では吉報を占う升目として用いられたといわれています。
また武家社会では碁盤上での攻防を陣取りととらえ、
その上に両足で立つことを「天下を取る」と考えられたということです。
「深曾木の儀」にあやかった「碁盤の儀」には碁盤の目のように
「筋目正しく育つ」「ひとり立ちする」「運を自分で開く」との願いが込められてるそうです。
三歳で言葉を授かり
五歳で知恵を授かる
七歳で歯を授かる ことを感謝するのが七五三とも言われています。
「子どもだからわからない」と思わずに、お子様に伝えてあげてくださいね。